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高鍋町美術館 イベント 書業40年 松田幸敏の世界展 [◆ 高鍋町]


『 書業40年 松田幸敏の世界展 』

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【会期】

平成28年6月18日(土)~7月10(日) 

休館日/月曜日

時 間 10:00~17:00(入館は16:30まで)

【会場】

高鍋町美術館 ※観覧料あり

【連絡先】

高鍋町美術館(0983-23-8887)

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高鍋町 高鍋藩 藩校 明倫堂 [◆ 高鍋町]


『高鍋藩 藩校 明倫堂』

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【藩校・明倫堂の設立】

日向国高鍋藩の7代藩主・秋月種茂が儒官・千手興欽の進言に基づき

安永7年2月24日(1778年)に設立した。

藩士のみならず農民等の一般庶民にも入学させたのを最大の特徴とする。

5代藩主・秋月種弘の時に学問・武芸の稽古所があった高鍋城

三の丸(現在は宮崎県立高鍋農業高等学校の一部)に位置し

従来からの武芸稽古所と併設して藩士の子弟に

文武を兼学させた。

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「高鍋農業高校内」


小学と大学に分れ、それぞれを行習斎、著察斎と呼んでいた。

行習斎には8~9歳で入学し、孝経、大学、論語などの素読や

孝経、小学内外篇の講義、礼式、書道、数学を学んだ。

行習斎を修了して進む著察斎では各自で講読または会読を行い

教授への質疑や典籍の科目は自由であった。

嘉永年間初頭に医学所が設けられたが、教授が多忙のため中止され

1870年(明治3年)に再開している。


1869年(明治2年)には国学科が設けられ、玉鉾百首や神代正語

万葉集などが教えられた。

1873年(明治6年)に廃止され、その後は高鍋島田学校を経て

1887年には現在の宮崎県児湯郡高鍋町立高鍋東小学校となった。

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明倫堂の書庫は土蔵造で、現在は高鍋町立高鍋図書館構内に

蔵書とともに改築されている。





宮崎県 高鍋町 武家屋敷 城下町 [◆ 高鍋町]


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『高鍋町 城下町 武家屋敷』


宮崎県の城下町といえば、日南市の飫肥を思うのですが

もう一つは、高鍋町も城下町なのです。

高鍋城はありましたが、明治時代になり廃城となりました。

よって、城址となり、現在は舞鶴公園として整備されたのです。

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高鍋城(舞鶴城)は、かつては財部(たからべ)城といって

城主の秋月家がその財部城を居城して

今の高鍋と改称されたのです。

藩政時代には、3万石の城下町として栄えたのです。

学問と教育では、7代藩主・秋月種茂公が藩校「明倫堂」を設立して

偉大な輩出致しました。


町内の「武家屋敷通り」は、16世紀後半から町並みとして

整備されました。

武家屋敷も残っており、城址周辺には古い町並みがあるのです。





宮崎県 高鍋町 豆の樹 地蔵堂 草団子 [◆ 高鍋町]


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『高鍋町 団子屋 豆の樹』

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宮崎県の高鍋町にある名物のだんご屋で

場所は国道10号線沿いにあります。

その店とは、「豆の樹だんご 地蔵堂」です。

当店には、草だんご以外の品物も美味しく

おすすめなのは「草だんご」なのです。

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店の看板が国道10号線沿いにあるので

分かりやすいですよ[手(パー)]

当店以外に、都農町にもあります。

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■住  所:児湯郡高鍋町南高鍋12123番地3(国道10号線沿い)

■営業時間:午前9時~売り切れまで

■定 休 日: 月曜・火曜 (祝日は営業・代休アリ)






サトザクラ 高鍋町 明倫桜 町立図書館 [◆ 高鍋町]

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『高鍋町 明倫桜』

高鍋町では「明倫桜(メイリンザクラ)」という桜が

町内にある町立図書館にあります。

その桜は町立図書館の入り口に植えています。

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「町立図書館」

メイリンザクラは花びらが11枚でして、オオシマサクラの

サトザクラの一品種なのです。

現在は、町内にある舞鶴公園や武家屋敷などで

可憐に花を咲かせています。

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「舞鶴公園」


高鍋藩の藩主 秋月種茂が設立した藩校・明倫堂にあった桜で

図書館横に明倫書庫を移設したのは

柿原政一郎である。

それがきっかけで、「明倫桜」と名付けられました。

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高鍋町 イベント 第17回高鍋町美術協会展 [◆ 高鍋町]

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『第17回 高鍋町美術協会展』

平成28年1月20日(水曜日)~1月27日(水曜日)に、宮崎県高鍋町にある

高鍋町美術館で「第17回高鍋町美術協会展」が開催されます。

開催期間中は、絵画・書道・陶芸・立体・写真など高鍋町美術協会会員の作品が

多数展示されます。

~関連イベント~

開催日:1月24日(日曜日) 時 間:午後2時~

内 容:三味線演奏やプレゼント抽選会 参加料:無料

【日 程】

2016年1月20日~2016年1月27日

開始・終了時間/午前10時~午後5時(入館:午後4時30分まで)

※最終日:午後4時まで


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場所又は所在地 高鍋町/高鍋町美術館(高鍋町大字南高鍋6916番地1)




高鍋町 歴史 日向国高鍋藩 [◆ 高鍋町]


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『高鍋町・日向国高鍋藩』

宮崎県の高鍋町は、江戸時代まで高鍋藩(たかなべはん)は

日向国に存在した藩でした。

現在の宮崎県児湯郡の東部(高鍋町、川南町、木城町、都農町、日向市の美々津)と

串間市、宮崎市(瓜生野・倉岡の一部)、国富町(木脇)を領有していた。

藩庁は高鍋城(宮崎県児湯郡高鍋町)。

高鍋は初期、財部と呼ばれていたため財部藩(たからべはん)とも称します。

真上から見て、鶴が羽ばたく姿に似てることから「舞鶴城」とも呼びます。

明治時代には廃城となり、舞鶴公園として整備されたのでした。


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「秋月墓地」


【概 要】

秋月氏はもともと筑前国を領していたが、豊臣秀吉の九州征伐のとき、時の当主・秋月種実が

島津氏に与して抵抗し、のちに秀吉に恭順しました。

これにより日向国串間3万石に移封されたのです。

1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いのとき、秋月種長は西軍に与して大垣城を守備していたが

9月15日の関ヶ原本戦で西軍が壊滅すると、いち早く東軍に寝返って大垣城にあった

西軍の諸将を殺害して開城したため、所領を安堵されたのです。

その後、1604年(慶長9年)居城を財部城(高鍋城)に移し、正確にはこの時点より

高鍋藩が成立いたしました。




宮崎県 高鍋町 歴史 日向国高鍋藩 [◆ 高鍋町]

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『奈良時代~戦国時代』

奈良時代には城が築かれ、戦国時代までに土持氏(およそ600年)

伊東氏(およそ120年)、島津氏(10年)と支配者が代わっていき

豊臣秀吉の九州征伐後には、高鍋(当時の地名は財部)は

筑前国から移された秋月氏の領地となりました。

また、8世紀中ごろ朝鮮半島より百済王の子孫が流れ着いたという伝説が

木城町・美郷町南郷区とともに語り継がれたのでした。


756年 百済福智王、蚊口浦に上陸(比木神社縁起)

854年 飫肥太郎秀綱 財部を贈るという(延陵世鑑)

1372年 田部直綱が財部城主で財部大明神を崇敬(寺社帳)

1457年 土持氏、伊東祐堯に降る(日向記)

1577年 財部の島津氏支配始まる(薩摩旧記)

1587年 島津義久 羽柴秀長に敗れる(日向国史)

秋月種長 筑前より日向財部に転封

1599年 庄内の乱に出兵



高城川合戦布陣図

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1578年、薩摩の島津義弘と豊後の大友義鎮(宗麟)が木城町の高城川(小丸川上流)で

合戦を行ったときの布陣図。

この合戦に始まる一連の戦は、現在「耳川の合戦」と呼ばれています。


豊臣秀吉の朱印状

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秀吉朱印状

1587年7月3日、豊臣秀吉より秋月三郎種長(初代高鍋藩主)にあたえられた

書状「日向国高鍋城をあてがうが知行方目録は中納言(羽柴秀長)より

受けとれ」としるしてある。

江戸時代になり、この書状の記述に基づき城地名を

高鍋と改めたのでした。




高鍋町 神社 鵜戸神社 [◆ 高鍋町]

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『高鍋町・鵜戸神社』


鵜戸は神武天皇ご東遷の際御駐輦された所として顕彰されてました。

鵜戸神社の創建は年代が詳かでないが、古来鵜葺草葺不合尊御上陸の

旧地に、社殿を建設したと伝称しました。

境内本殿の西側にある高さ三尺、縦横九尺五寸の小丘は、尊御上陸の

旧址と伝えられています。


当社は景行天皇熊襲征伐の際、海陸安全、全戦勝祈願の為

天皇十二月十月行幸あらせらると伝えるも拠るべき

史料なく、確証し得ざるを遺憾とす。

古来海上鎮護の神とせられ、社伝旧記には其の鎮座地を、日州

高鍋領内河口村と記していたのです。


昭和二十六年十一月、現在の本殿、幣殿、拝殿が再建されたました。


【神社情報】

■住 所:児湯郡高鍋町大字蚊口浦1-1

■電 話:(0983)22-2700

■御祭神:鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)

     天照大御神(あまてらすおおみかみ)

     天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)

     穂々出見命(ほほでみのみこと)

     須佐之男命(すさのおのみこと)

     邇々杵命(ににぎのみこと)

     大物主大神(おおものぬしのおおかみ)

■社 殿:本殿(神明造)1坪 拝殿(入母屋造)10坪

■アクセス:JR高鍋駅より徒歩で約5分





宮崎県 高鍋町 ホテル ホテル泉屋 [◆ 高鍋町]

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『ホテル泉屋』

中心部に立地し、1階には「チキン南蛮」で有名な

ファミリーレストラン「おぐらチェーン高鍋店」を

完備しており、しんきん通り沿いにあります。


各種限定プランも充実しており、スポーツ合宿などにも対応可能です。

【ホテル案内】

■住所:宮崎県児湯郡高鍋町大字北高鍋1368-4

■TEL:0983(22)3366

FAX:0983(22)1709

■シングル1泊4968円~  

■朝食は+864円

■HP:http://www.hotel-izumiya.com/

※長期滞在はご相談ください。 特別料金あり。



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